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2015年4月25日の想いで [海外クライミング]

今日は4月25日。

本来ならGW初日で立山黒部アルペンルートは大賑わいで、私もガイドで剱御前小屋に入る日だった。
今日の富山は晴れだが、下界からただ山を眺めるだけしかできない。
この悔しい経験も将来の日本を守ることに繋がると思えば、やりがいのあることでもあると考えよう。

今から、5年前の4月25日はネパール・メラピークを登山中であった。
前回15年前のメラピークは山頂から何も見ることが出来なかった。この時は、スキーで山頂から滑ることも楽しみに快調に登っていた。
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写真はルクラからの出発時。
4月25日は、降雪の中、カルカへ入りランチを食べようとした時、地響きがして経験のない揺れを感じた。これがネパール大震災だった。 時間が経つに従い様々な情報が入り、カトマンズを始めネパール各地が壊滅的な被害を受けていることが解った。その日は、お客様方とそのカルカへ泊まって、サーダーのパサンギダーと深夜まで相談して登山中止を決めた。しかし、一晩中余震が続き、その度に身構えて寝るどころではなかった。
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サーダーのパサンキダーと。
帯同しているシェルパのほとんどが家屋や家族に被害があるし、我々も日本にいつ帰れるか解らないと思ったので、とにかくルクラへ一刻も早く帰らねばと下山を急いだ。
村を通過する度、途中の道端で穴を掘り、遺体を埋めている人々の姿を見て、事の悲惨さがどんどん身近になってきた。 やっとルクラに着いても、飛行機はいつフライトするか解らない状況で、ヘリはエベレスト方面へ往復するばかりで使えそうもない。
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ルクラ空港の周りはテント村。
ホテルは余震でいつ崩壊するか解らないので、空港脇の空き地にテントを張って泊まることにしたが、偶然安全なホテルを見つけて、そこで数日を過ごすことができた。 毎朝、空港に行ってチケットを取得するために列に並ぶが何時間待っても目処が立たず。いつカトマンズへ帰れるのか、いつ日本に帰れるのか先が読めない状況が続いた。しかし、現地エージェントと日本大使館が協力してくれて、4日後にカトマンズへ帰ることができた。偶然、室堂で働く建設会社のネパール人の仲間と機内で一緒になり抱き合ってお互いの無事を喜んだ。カトマンズから日本へ帰るのも大変だったが、現地エージェントの仲間達の努力で、全員分の帰国チケットを購入できて安堵した。みんな何度も心が折れそうになったけど、日本に帰りたいという一心で頑張れた。あの時も下山を決めたパーティや登山を継続したパーティ、現地に残るパーティなど、いろんな選択があって諸々勉強になった。 今回2020年は、更に長期的に先が見えない試練だが、無事に乗り越えられるだろうか。自分ができることが限られていて、自分の選択肢がほぼ無いことがとても辛い。じっとしているしかない。


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