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追悼 [マイライフ]

廣瀬憲文さんが滝谷で墜落事故。
そのニュースを聞いた時は、またすぐに復活するだろうと思っていた。
インスポンで落ちた時も再起不能と言われながら、見事に復帰された。
殺しても死なない。
廣瀬さんは、そういう人だと思っていた。
 
私が東京に住んでいた頃には、公私共に大変お世話になった。
日和田は、私の自宅から20分くらいだったので、ほぼ毎週頻繁にクライミング講習をやっていた。
ここで廣瀬さんと会う確率は50%を超えていたのではないか。
声が大きく、いたら何処にいるかすぐにわかる。
そして「歯に衣着せぬ」とはこの方のためにあるような言葉だ。
情けないクライミングをしていたら、誰の客であろうとも、大声で叱り、優しくムーブを教えてくれる。
「あと、5cm右に右足乗せて、目の前にあるアンダーを右で取る。そーそーそー!」
私はムーブは細かく言わず、自分自身で考え、身体に染み込ませろというタイプだったので、これには苦笑するしかなかった。
でも、そのくらい親切で困った人を放って置けない人だった。
 
私が韓国インスポンへガイドに行く時は、いつも現地状況を優しく教えてくれた。
廣瀬さんとの想い出は尽きない。

廣瀬さんはクルマを持たない人だったので、家まで送ると必ずお土産をくれた。

アイスアックスを研ぐ道具は、未だ廣瀬さんからいただいたものを使っている。
私がニューモデルのアイスアックスを手に入れると「俺が研いでやる」と言って、日本刀のようになって返ってくる。
人を殺すわけじゃないから、ここまで研がなくても…と思うと。
「ガイドが硬い氷に苦労したら困るだろう」と親切にやってくれるのだ。
 
2010年に私が富山へ帰り、ガイドのベースを剱岳に絞ってからは、会う機会は減ってしまったが、小川山や山小屋で会う度に私のことを心配してくれていた。
 
近年、私が膝腰を悪くして、クライミングから離れてからはお会いする機会もなく、最後はいつだったか忘れてしまった。
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また、天国で再会したら、御指導ください。
いろんなことを優しく教えてくれて、ありがとうございました!

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