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剱岳との関わり [剱立山]

私が無雪期に剱岳ばかりガイドするようになって約10年ほどになる。
それ以前の10年は、もちろん剱岳もガイドしていたのだが、東京に住んでいたので、穂高や槍、一ノ倉や妙義、関東周辺の岩場と様々な山でガイド活動を行っていた。
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剱でガイドしたいと強く思うようになったのは、真砂沢ロッジを経営していた佐伯成司さんの影響が大きかった。
おそらく、成司さんが真砂沢ロッジのオーナーになった年に黒部ダムからハシゴ谷乗越ルートが崩壊のために通行止めになっていた。
私はそれを知らず、黒部ダムから黒部川へ降りようとしたら通行止めの看板があった。
そこでダムへ戻り、事務所へ行って、私が山岳ガイドであることとロープも持参しお客様全員がクライミングギアを持っている事を伝えて、私自身は丸山東壁を以前からかなり登っていて、この地形に詳しい事を伝えたら、行って良いでしょうと許可を得た。

しかし、丸山東壁から内蔵助平が崩壊で道がなく、ほぼ背丈以上の藪漕ぎと藪ラッセルで延々と時間が掛かった。
しかもテント泊装備にクライミングギアを背負っていたので、私のザックは25kgを超えていたはず。
結局、真砂沢ロッジに着いたのは21時近くになっていた。

そこにいたのが強面オーナーの佐伯成司さんで、「なんで通行止めを来たがよー。」とものすごく怒られた。
テントを張ろうとしたら、「金なんかいらんから中で泊まれ!」とまた怒られた。
お客様を寝かせてから、成司さんに「ちょっと座れ。」とお酒を頂き、さらに怒られるのかと思ったら「あんた、あの状態の丸山東壁の下をお客さん誰も怪我させんと連れてくるちゃ大したもんや。」とえらく褒められ驚いた。
翌朝は確かⅥ峰フェースを登りに行って真砂沢に2泊したのだと記憶している。
その時の成司さんの印象がとても温かくカッコ良かった。 それから数年後、母が亡くなった関係で実家の富山に帰郷して、今に至る。 真砂沢ロッジには実によく泊まりに行った。 成司さんは、私がガイドでチンネに行く時は夜中の2時に起きて、朝ご飯を作ってくれる熱い男だった。

昼弁当は、いつもチマキを持たされたのだが、指にヌルヌル付いてクライミングしづらいと言ったら改善すると爆笑してた。
DSC00099.JPG 真砂沢ロッジはテラスにパラソルを立てて、バーベキューしながら昼から酒を飲むのがスタイルで、特にクライミング系ガイドが大好きな成司さんは彼らが泊まりに来たらとても機嫌が良くなった。 剱のバリエーションルートと成司さんの姿が妙にマッチして、私はこの雰囲気が大好きになった。 そして、剱という山は雪渓の処理と脆い岩の処理が常に必要で、安全にガイドするためには、どこがどういう状態か常に情報を把握しておく必要があると思った。 私のような不器用な人間は、他の山にガイドに行っている時間はなく、剱岳に通い詰めて、ここを一生懸命ガイドしようと決めた。
今でも別山尾根を降りる時、武蔵ノコルから見える真砂沢ロッジを見る度に、あの熱かった頃の佐伯成司さんを思い出す。 真砂沢ロッジにトイレットペーパーが無くなり、スーパーで2ダース買ってから南壁をガイドして、長次郎右俣を降りて真砂沢ロッジに持って行ったことが懐かしい。 今日の富山は曇だが剱岳は見えていた。 海から剱岳を見て、あの頃のことを思い出してしまった。 明日からまた剱澤小屋に行くのが楽しみだ。